前掲『諸君!』に寄せた拙文は以下のようなものだった。
題して「雷鳴の如き啓示」…
当時、私は中学2年生。
学校の給食時間にクラス担任が教室のテレビをつけ、皆で昼のニュースを見た。
文学に全く無縁な田舎中学生だった私は最初、アナウンサーが『作家の三島由紀夫が…』と言うのを『サッカーの三島…』と聞き違えた。
われながら随分お粗末な話だ。
しかし事件のニュースを聞き終えた時、全身をかつて経験したことのない強烈な戦慄が走り抜けていた。
担任は元文学少女だったらしい女性教師で、口を極めて事件を罵倒した。
これも衝撃だった。
生命尊重のお題目は小学校の頃から聞き飽きている。
だが今、目の前で、公の為、日本の為に何ごとかを訴えようとして掛替えのない命を投げ出した人間がいるのだ。
まず虚心に一旦はその訴えに耳を傾け、しかる後に当否善悪を判断するのが、人の命を尊び重んずる者の態度ではないのか。
そんな根深い違和感を覚えた。
この違和感の奥には、特攻隊の生き残りだった亡父の俤がちらつく。
父は幼い私に、特攻隊員の遺書を吹き込んだレコードを繰り返し聴かせた。
それは不思議と聴き飽きるということが無く、人の命の哀しさと崇高さを、肌身に沁みて最も激しく教えてくれた。
そんな形で生命の尊厳を学んだ私にとって、あの事件は時代の病弊と、それを超克しようとする志の一つの型を、雷鳴の如く啓示するものだった。
あの日のことは決して忘れない。